こらむ(エピソード①)

「回想法」

私が、今の職場ではない頃のお話しです。
その頃の私はデイサービス(通所介護)の管理者でした。

ある日、デイサービスの外出のレクレーションとして「昭和の暮らし展」に行くことを計画しました。
出かける前の雰囲気作りとして、前もって用意していた「昔の道具」や「昔の暮らし」の昭和の時代の懐かしい画像を紙にプリントしたものを利用者様方に配って見ていただいていました。
「あら、火鉢!」
「昔のテレビはこんな大きかったねぇ」
「なつかしかねぇ」
と賑やかにそれぞれ会話が交わされていました。

職員もいつもの通りにバイタルチェック(体温や血圧の測定)をこなしながら、その利用者様のみなさんの会話の中にさり気なく入っていました。
若い世代は「へぇ~、こんなのあったんですか?」
中高年の世代は「あぁ、うちにもありました!」
などと、利用者様の記憶を辿る旅にお付き合い。
たくさんの会話の中にはおのずと笑顔が生まれます。
これが、私たち介護職の楽しみでもありやりがいでもあるのです。




私は、頃あいを見て「では、これに記入をお願いします」と別に用意していた用紙を皆さんに配りました。
そこには【 年  月  日(頃) 何がありましたか? その時のお気持ちは?】
という欄を設けていました。
しばし、おしゃべりの賑やかさは去り、思い思いに鉛筆を走らされました。

(以下、原文のまま)
■大正15年生まれの女性・・・「あらそい」「しんぱいしました」「いつもにげていました」「ともだちはよくしてくれました」「友だちにたすけてもらいました」
■大正8年生まれの女性・・・「10の頃・・・思い出は思いだすだけ」
■昭和9年生まれの女性・・・「S9年3月23日生まれ・学期終わりと重なる。姉から何回も言われたこと。私が生まれたので友達との食事会で呼び返されたとのこと」
「S15年頃、ゆたんぽ。布団の中に入れて足をあっためてもらった」「S20年頃、ぞうり。ぜいたくは敵とわらぞうりとかはだしで通学」
■大正9年生まれの女性・・・「昭和7年9月13日、突然の父の死に驚き悲しみをあじわいました」
■大正6年生まれの女性・・・「昭和14年1月13日、結婚式をすませました。主人の都合で佐世保に入港したので急に呼ばれた旅で大変なことでした」
「昭和14年4月8日、主人の勉強のため大阪に行きました。2階の部屋を借りて都会生活。田舎者の恥ずかしさで半年を過ごしましたが、少し慣れてから履歴書を書いて電話局に就職しました」
■昭和12年生まれの女性・・・「長い年月いろいろありました。書くことはできません。私の心の中で思います」

70歳代・80歳代・90歳代の利用者様のそれぞれの人生と「想い」が見えました。
これはほんの一部です。
でも、利用者様のその人生の後半に関わらせてもらえた40歳代の私は、実に幸せなのかもしれません。
やはり、「認知症」と診断されて毎日をお過ごしの方もいらっしゃいます。
認知症があっても、認知症がなくても、思い出は静かに残っているのです。
その一人一人がみな違うから、一人一人に素晴しい人生の物語があるんですね。


グループホームふきのとう管理者:高岡淳子
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